私と工場長さんの縁(えにし)その4
会社と言っても独立当初の2年間は工場長さん1人。透明封筒やOPP袋の仕入れ先は確保しており、それなりの知識や製造方法に関するノウハウも十分の状態だった。
ただ出来ることは毎日毎日コツコツと売り歩くだけ。足に血豆ができ、1か月に靴を2足履きつぶしてしまう時期が2年ほど続いた。
ノートの走り書きには「昭和時代ではなく、平成時代なのに・・・」と。
日々の努力の結果、数々の取引先とも信用関係が生まれ、商品をさらに安く仕入れすることが出来るようになってきた。
そして、大型スーパーや大型団体に販路を拡大すると同時に自社工場を持ち、OPP袋や透明封筒、化粧箱、ラベルやネットなど複数自社ブランドの製造を手掛けるよう今日が工場長さんにあるのだ。
実は、私と工場長さんの出会いも紹介であり、人と人の出会いに縁があり、繋ぐ人が必ず居るのだなあと今もなお感じている。
人には出会いがあり、意味のない出会いなど無く、すべての出会いに意味がある。
また学んだ話に
「宝は他からという意味がある」
という話がある。
まさに宝(タカラ)が他から(タカラカラ)やって来て縁(えにし)を結んでくださっている意味だ。
今から考えると、工場長さんこの話が1回なのは最初に「OPP袋業界は甘くないぞ」と言うメッセージの他に話があるのかも知れない。
私がこれからの仕事で甘く考えてしまうような時、この工場長さんの話を思い出すのかもしれない。
考え過ぎかな・・・でも、
この話の2回目が無いように努力しようっと!